小豆島手延素麺協同組合 手延そうめん 島の光

組合沿革

明治23(1890) 「小豆島池田素麺商営業組合」を結成。加入者286名 頭取に福崎清助がなる。

小豆島池田素麺商営業組合全景
明治27(1894) 生産高4万3800箱になる。
明治38(1905) 麺生産、4万6243箱、小麦粉1万3505俵、業者537人になる。
明治40(1907) 「小豆島素麺同業組合」ができる。組合長に森遷氏。素麺、7万9177箱、素麺箱、9万3411、業者619人となる。
明治44(1911) 手延素麺3万9199箱、機械・饂飩5万1923箱を生産する。
大正3(1914) 手製61,119箱、機械61,002箱の生産製造者345人、仲買43人、製粉業者46人。
大正6(1917) 立張り式製法を始める。
大正10(1921) 手製87,227箱、機械67,085箱の生産。製造者390人、仲買45人、製粉業者47人。
大正11(1922) 同業組合長に、八代田勝次郎を選任。はじめて台湾、朝鮮等へ販売した。
大正12(1923) 「検査員事務心得」を規定、極寒製を除く、寒製と春製を廃止した。
大正13(1924) 手延3万2174箱、機械4万3564箱を生産。素麺製造者425人、製粉業者50人、合計513人。
昭和2(1927) カケバの機械(川端式)、五徳式カケバが考案され、組合で公開された。
昭和7(1932) 協同作業場が建設され、落成式があった。
昭和8(1933) 「小豆島製粉製麺工業組合」ができる。
昭和10(1935) 「小豆島手延素麺工業組合」ができる。
昭和11(1936) 香川県乾麺統制組合小豆郡支部ができる。
昭和12(1937) 組合員338人、(製麺者273人、機会12人、製粉38人、入器箱15人)北地70人、迎地30人、大鐸29人。
昭和18(1943) 1月25日「小豆島素麺同業組合」が「香川県手延素麺工業組合」になる。
昭和19(1944) 「香川県乾麺統制組合」が5月22日設立された。
昭和26(1951) 10月6日「小豆島手延素麺製粉協同組合」を結成(理事長、八木金造、組合員185名)生産量2万6,000箱をこえる。
昭和43(1968) 専業化が進み、別製部をもうけて、冷麦・別製素麺の製造に努力した。(寒製5%、別製20%の上昇となる)
寒製、別製が10万箱に近づく。(9万6600余箱)
昭和45(1970) 土庄、大木戸、肥土山、四海方面の新規組合加入者が増える。
組合員194人、生産が10万箱をこえた。
昭和54(1979) 生産が34万箱をこえ、販売価格は30億円となる。別製素麺が5万箱をこえる。
組合員268人。
昭和56(1981) 生産が246,900箱、組合員268人になる。
東京への販売に力を入れる、テレビで広告するようになる。
昭和59(1984) 全国のデパートで、「小豆島の素麺」が中元商品として定着した。
生産29万6千余箱、組合員249人。
小豆島手延素麺製粉協同組合青年部設立総会開催。
昭和60(1985) 11月1日「小豆島手延素麺製粉協同組合」の規約が施行された。
昭和63(1988) 「島の光」「島の月」の製造、販売だけでなく、特注麺にも力を入れ、製造、販売のバランスをとり安定経営をはかるようになった。
平成3(1991) 生産30万9883箱となり、寒製、春製、夏製で1万4千箱増産して30万箱をこえた。
「小豆島手延素麺協同組合」になる。組合員242名。
4月、小豆島ふるさと村に手延そうめん館オープン。素麺の製造工程が見学できる観光施設ができる。
組合設立100周年。
8月、皇太子殿下が手延素麺の製造工程を御視察された。
平成4(1992) 「素麺技能士」の制度をもうける。青年部の61名がこれに参加した。
生産31万3194箱となる。百貨店やスーパーの売上が低下する。
平成5(1993) 組合員240名。直営の「製品加工場」「移動ラック倉庫」が完成し、4月1日より自動包装、箱詰、センコ巻をはじめる。
8月、池田町ふるさと村で、555Mの世界最長の素麺流しをする。
平成7(1995) 組合員238名、うち池田町107名(池田43名、蒲生36名など)、土庄町111名(伊喜末20名、肥土山24名など)内海町18名(神懸通及び安田6名ずつなど)
平成18(2006) 当組合所在地の池田町が内海町と合併。住所が「香川県小豆郡小豆島町池田1031番地」となる。
現時点 組合員名154名(操業者132名、休業者22名)